当初は「工場マスク」といわれ、文字通り工場内での
粉塵よけとして作られたのである。
そのころの製品は、真ちゅうの金網を芯に、布地を
フィルターとして取り付けたものであった。
しかし、この製品は工場用という特殊な用途に限られ、
また吐息によってさびてしまうなど耐久性の面でも問
題があり、一般には普及しなかった。
ところが1919(大正八)年にインフルエンザが
大流行すると、その予防品としてマスクが注目を
集めたのである。
このときの需要はブームともいえるもので、供給が
追いつかずメーカーが乱立し、品質の低下を招いた。
その後、関東大震災までは需要も落ち着き、徐々に
普及していった。
当時はまだ商標が使用されておらず、震災後、
内山武商店から発売された「壽マスク」が
その第1号となった。
このころからマスク普及に拍車がかかり、金網を
セルロイドに変えた「オービシマスク」が発売されるなど、
業界もにわかに活気づいてきた。
さらに、フィルターとなる生地の改良も進み、当初、
黒朱子だけが使われていたものが、べッチン製、皮製
なども現れるようになっていった。
by「東京医療用品卸業界八十年のあゆみ」